デ1形

有間より先を目指して意欲的な設計となった、有電の初代車両。


有間電鉄の前身である有間電気鉄道が1920年の開業に際して導入した電車です。

1号車~6号車の6両が大阪の藤永田造船所にて製造されました。

形式の最初にある「デ」は主電動機(モーター)を搭載し自走できる車両(電動客車)という意味です。本形式には該当しませんが、車両単独では自走できない車両は「ク」を冠することが有電の内規で定められていました。1986年の700形導入以降、このような標記は廃止されています。

 

二重屋根(ダブルルーフ)構造とした14m級の木造車体は、有電の社紋をあしらった磨りガラスの明かり取り窓がチャームポイントです。側面窓配置はD6D6D、つまり3ヶ所の乗降扉を持ちその間に6枚の側窓を配置したもので、同時期に藤永田造船所で製造された阪神電気鉄道301形と近似しています。開業当時は1両での運行を基本としたため、電車の操縦を行う運転台を車両の前後先頭部(妻面)に設置する両運転台構造が採用されました。運転台のある先頭部は緩やかなカーブを描いた妻面に3枚の窓を均等配置しており、窓下(腰板部)には前照灯が1灯設置されました。前照灯は後年屋根上にステーを介して取り付ける方式に改められ、車両の最後尾を示す後部標識灯(尾灯)も追加設置されています。このようなスタイリングは同時期に他メーカーで製造し、他社が導入した車両でも散見され、大手私鉄の支線区や有電のような中小私鉄に用いる車両としては標準的な造りであったことが窺えます。

 

走行装置のコアである台車はボールドウィン75-25Aを採用。これはアメリカのボールドウィン・ロコモティブ・ワークス社が、都市間を結ぶ電気鉄道・軌道の車両向けに設計した台車の中で最高傑作とされるもので、日本でも純正台車と同等か独自の改良を加えたコピー品が数多く製造されました。走行の動力を生み出す主電動機にはゼネラル・エレクトリック社のGE-244Aを各台車に2基ずつ搭載し、制御装置には同じくGE社製のPC-6電空カム軸式間接自動加速制御器を、制動装置もGE社製の非常直通ブレーキを採用しました。集電装置はトロリーポール(金属製パイプの先端にある滑車を電気の流れる架線に接触させて集電する方式)を屋根上の前後に各1基設置しましたが、後に追従性能や取り扱いが比較的容易なパンタグラフ(三田方に1基搭載)に取り替えられています。

これらの装置を用いた走行の流れとしては、まず電車の上にある架線から集電装置で取り入れた電力を、制御装置が走行に適した電力に変換します。この変換は運転台からの指令に基づくもので、制御装置から台車に搭載した電動機へ電力が送られ、電動機の動作によって回転力(トルク)が発生します。電動機から車輪にトルクが伝達され、ようやく大きな電車が動きます。

本形式開発当時の有電には有間より先の神戸や宝塚まで線路を延ばす構想があったため、急峻な六甲山地を登り降りすることを意識して約400馬力もの大出力車を設計したと考えられています。しかし実際には難工事による莫大な工事費用がネックとなり、有電ではなく神戸有間電気鉄道(現・神戸電鉄)が1928年に神戸(湊川駅)から有間までの鉄道を開業させました。

 

車内は赤色モケットのロングシートを配置し、客室照明は丸いグローブ(カバー)付きの白熱灯でした。乗降口となる片開き扉は手動で、今日では当たり前の乗務員室(運転台)専用扉は設置されていません。客室の側窓は一段落とし窓構造で、外には保護棒が3本設置されています。屋根上にはベンチレーターと呼ばれる通風器(トルペード式)が設置されており、走行の際に空気を入れ換えます。

 

1920年11月15日の有電開業と同時に運用が始まり、後年登場したデ100形・200形と共に有電草創期の輸送を支えました。晩年(戦後)は主電動機の故障率が高かったことから乗客の多少にかかわらず2両で運行することが多かったようです。木造車体であることから老朽化のスピードも早く、1962年に登場した500形登場と入れ替わるように廃車されました。