デ100・デニ200形

「ツートン・カー」の愛称を持った、有電戦前期の花形車両。


名古屋に本社を置く日本車輌製造で1926年から1928年にかけて10両が製造されました。

初代車両デ1形の拡大改良版に位置付けられ、内装は木造としながらも風雨に晒され腐食のしやすい外板は普通鋼を用いた「半鋼製車体」を採用しています。車体そのものも収容力の向上を目的に18m級に大型化、客室設備と荷物室の有無によってデ100形とデニ200形の二形式に分けられました。

 

デ100形(101-106)

両運転台の制御電動車で、1926年から3年間をかけて6両を導入。

側面窓配置d2D(1)8(1)D2d(d:乗務員室扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)、窓周りには補強材であるウインドウシル・ヘッダーが付き、戸袋窓が「ひょうたん」をあしらった磨りガラスであるのが最大の特徴でした。「ひょうたん」は有間温泉をこよなく愛した武将・豊臣秀吉の旗印(千成瓢箪)に由来するもので、2016年に登場した新型車両100形(Ⅱ)にもキーデザインとして継承されています。

車内は乗降口周辺をロングシートとした一方、行楽客利用をより意識して2人がけの転換クロスシートを設置。大手私鉄の特急用車両を彷彿とさせる雰囲気の車内は非常に好評で、戦後登場したデ300形で転換機構を持たないボックスシートを備えた際は「戦前の車両より劣っている」という苦情が寄せられたほどでした。後述するデニ200形とは車内の設備に違いがあるため、これを判別するためクリームとエンジのツートンカラーに塗装されていました。

アメリカ製の走行装置を多用したデ1形と異なり、殆どの装置が国産となりました。

主電動機はMB-98A(出力75kW×4基)、制御装置はHL単位スイッチ制御方式、制動装置にはSME(非常弁付き直通空気ブレーキ)と、これらは全て三菱電機の製品となっています。台車はボールドウィンA形のデッドコピー品である日本車輌製造D-16形(平鋼リベット組立形釣り合い梁式台車)を履きました。

 

デニ200形(201-204)

1926年から1927年にかけて4両が導入されました。

車体の寸法と走行装置はデ100形と変わりありませんが、「ニ」という標記が示すように荷物室を一部に備えた車両です。この当時はトラックを用いた宅配便が無く、郵便物や小荷物を鉄道で運んでいました。有電沿線においても荷物輸送に適した設備を持つ車両は熱望されており、この車両は三田方の一部車内が荷物室として客室とは間仕切りで分離されていました。荷物が窓に当たってもガラスが破損しないように内側に真鍮製の保護棒が取り付けられ、荷物の積み降ろし専用の扉が客用とは別に設けられています。

荷物室を備えるため客室スペースはデ100形より狭く、こちらは全席がロングシートとされました。判別のため塗装はクリームとブルーのツートンカラーで、荷物室の窓下には「小荷物」の標記があります。

 

本形式はデ100形・デニ200形のいずれも前面に扉を備えた貫通型構造で、2両以上で連結して運転する際には編成内での通り抜けが可能でした。鉄さび等が目立たないように茶色系の単色塗装を施すのが主流であった当時、明るいツートンカラーの本形式は内装共々話題を集め、日帰り客の受け入れ態勢が不十分として評判の落ちていた有間温泉に観光客を戻す一つのキッカケとなりました。

「ツートン・カー」という愛称で親しまれた本形式ですが、太平洋戦争に入るとデ1形と共通の茶色へと塗り替えられ、戸袋窓も磨りガラスから普通のガラスもしくは板張りに替えられました。戦後は有間温泉の金湯(赤褐色)をイメージしたオレンジの単色塗装に変更され、後継車両に脈々と受け継がれた後有間電鉄のコーポレートカラーとなりました。ひょうたん模様の磨りガラスはついに復活せず、1960年からは主要な走行装置をデ300形に譲るために順次廃車されました。

ただし105号車については事業用車両「デヤ901号車」として転用され、1991年の昇圧後は事故や災害時に用いる資材を搭載した「クヤ901号車」に改番。1995年の阪神・淡路大震災では復旧工事の一拠点として活躍し、2001年に500形を改造した「クヤ902号車」と入れ替わる形で廃車。その後は道場検車区において登場時の姿に復元する工事を行い、現在は管理棟前に静態保存されています。