600形

再び神戸へ……有電開業時の夢を再び志した車両。 


1990年代に現在の塗装になった
1990年代に現在の塗装になった
登場時はオレンジの単色塗装であった
登場時はオレンジの単色塗装であった

有電開業50周年の節目である1971年に製造された、有電初の冷房付き通勤型車両です。観光客の利用を意識したデ500形から一転して、全客室にロングシートと冷房装置を備えたことには事情があります。

昭和40年代、有間市は阪神間で飽和状態にあった住宅と工場の新天地として「北摂有間ニュータウン」の開発計画を発表しました。この地域で輸送を担っていた国鉄・有間電鉄・神戸電鉄では複線化、電化等の輸送力増強が急務となり、特に神戸方面へのアクセスを改善する抜本的な対策として、三田付近より三宮付近に至る新線「神有(しんゆう)新線」の整備が提案されました。これは三田を起点にニュータウンの中心部を通り、山岳トンネルで六甲山地を貫き、鶴甲(神戸大学付近)、原田(阪急王子公園駅付近)、新神戸駅を経て三宮に至る、有間市と神戸市の中心部を直結させる計画でした。一部区間は既存の有電線を軌道改良して活用することとなり、本計画を推進する立場にあった有電は自社線と神有新線の兼用車両としてデ600形を設計。有電開業から50年目、再び神戸直通を志した車両の登場です。

 

神有新線は6両編成の列車を運行する計画でしたが、当時の有電は3両編成の入線が限界であったことから本形式は3両1本で製造されました。山岳トンネルのある新有新線の走行と来るべき昇圧に対応するため、ブレーキ機構の刷新や難燃構造の採用など新たな機軸が数多く盛り込まれました。

六甲山地を縦断するトンネルは長い勾配となることが予想されたため、下り勾配でブレーキを掛け続けてもブレーキ力が低下しないように「抑速ブレーキ(速度を一定に抑えるブレーキ)」を装備。これは加速時に車輪を回転させていたモーターを、逆に車輪の回転によって回転させて発電、それを抵抗器で熱エネルギーに変換もしくは発生した電力をそのまま架線へと返す仕組みです。熱エネルギーに変換する方を「発電ブレーキ」、架線に返す方は「回生ブレーキ」と定義されています。このうち回生ブレーキは加速時に使用した分の電力を減速時に発生させる電力で相殺できるため、省エネルギーの観点から現在の車両では大半が装備しているものです。これらのブレーキを使用可能とすることに加え、神有新線の開業までは600V電化の有電で運用することから、速度制御装置は界磁位相制御方式に一新しました。

車体構造に不燃・難燃の材料を使用する「A-A基準」にも適合しており、台車には川崎重工業製のKW-7を採用。車輪の軸が収まる軸箱と台車の骨組み枠の間に設けられた「ウイングばね」と、台車と車体の間に設ける枕バネを「空気ばね」に改めるなど、デ500形よりも安全性と快適性を向上させています。

車体の扉は片側3ヶ所に配置され、1,300ミリ幅の両開き扉となりました。ニュータウン開発でいずれ日常的となるラッシュアワーを視野に入れた設計で、同様の理由から冷房装置を搭載しました。側窓は最低限の換気が行えるように1段下降式とされ、座席も通勤・通学客の大量輸送を重視して全区画ロングシートとなりました。従来は「有間温泉←→三田」と表記した金属板を使用した行先表示も、前面と側面に設置した字幕を回転させる方式に改められるなど、両開きドア、冷房装置、案内装置など有電にとって初モノづくしの車両に仕上げられました。

 

壮大な新線構想を体現した本形式ですが、華々しいデビューの後に現実は思わぬ方向へと進みます。

神有新線は延長約10キロの山岳トンネルに始まる莫大な建設費用がネックで、安定成長期にあった当時でさえ資金の調達方法や費用分担のあり方を巡って議論が繰り広げられていました。さらに宅地開発による環境破壊の危惧、居住環境の全体的な質的向上に向けた方針転換によって、肝心要であるニュータウンの開発計画は当初より縮小。このまま新線建設を断行しても、業績不振によって建設費の償還は困難とする論調が目立ち始めたのです。結局神有新線の計画は立ち消えとなり、六甲を越えずしてニュータウン開発で変貌して行く有電沿線を見守ることとなりました。数々の新機軸も夢破れたりと思いきや、国鉄福知山線の複線電化など大阪方面のアクセスが劇的に改善されると、ニュータウンからの通勤・通学客が激増。

ニュータウン開発に伴う輸送改善の目玉として登場した700形、一世代前のデ300形・デ500形とともに増え続けた乗客を捌き、本形式は通勤型車両としての本領を発揮しました。

 

2017年現在、有電最古参となった600形は新型車両100形での置き換えが決定しています。現に第1編成(601-631-651)は既に定期運用を外れ、時期を見て廃車解体される予定です。神有新線の計画と中止、有電の都市近郊路線への脱皮と、時勢の変化に振り回されながらも、長閑な農業地帯から職住近接の衛星都市に変貌する転換期を象徴する車両として馴染み深い車両でもありました。